写真の誕生から190年。フィルム出荷本数のピークから20年。iPhoneの発表から10年。
ニコンショックと呼んでもいいようなニュースがあり、今年は写真にとって何かの節目であるような気がしているのですが、信じるか信じないかはアナタ次第。
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音楽に電気的な要素が増えたとき、手軽に扱えるようになる反面、作者のクリエイティビティはかえってソフトウェアの限界などの制約を受け、自覚しているかいないかは別として、やがて音楽は均質なものになっていってしまう
とOval(ドイツのミュージシャン)が問題提起したのが90年代半ばのこと。
今の写真の状況は、これに似ているように感じることがあります。
Ovalは最終的に、CDにマジックで線を書いたり傷をつけたりして再生することで、そのノイズによって新しい音楽を生み出そうとするところまでエレクトロニカを推し進めます。
シュルレアリスムやモダンアートが、作為からいかに離れていくかを模索したのに似ている気もします。
でも細野晴臣さんによれば、これによってノイズがファッションのようになってしまい、それ自体がオブジェクト化してしまったと。ノイズは表現の手法のひとつだったはずが、それ自体が目的になってしまったということでしょう。
それ以前までのエレクトロニカは、新しいものを生み出すエネルギーが集約されていて聴いていて楽しい音楽だったけれど、Ovalの実験的手法を見たときに畏怖を感じたと、当時を振り返って語っていました。
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音楽は炭鉱のカナリアのごとく、先を進んで危険を教えてくれているのですが、このあと産業としての音楽は壊滅的なダメージを受け、ライブという体験に活路を見出すことになります。
CDは売れなくなっていくけれど、ライブの動員は増えていって、人は音楽を体験することを求めるようになるから。
それは音楽が原点に戻ったということだと思います。
ぼくは写真と二度の絶交をしています。それでも仲直りができたのは、三つの大きな要因がありました
まずは過去の膨大なアーカイブの存在。
次に、そこから広がる世界・・・ぼくにとってはアートとファッションでした。
最後が、カメラというモノの魅力です。